エルヴィスとエミネム〜映画「8 Mile」
                  


二人のキング、エルヴィスとB.B.キングの写真をトップ・ページに据えて
このホームページを立ち上げたのが今から7年前である。
サイト開設の本来の目的は
その年の6月に銀座タクトで行ったエルヴィスとBBのトリビュート・ライヴの
音源と写真を公開することだった。
 
2003年2月、私は大学時代に所属していた
音楽サークル"MFC"のバンド仲間(先輩4人に同級生1人)に
ライヴへの参加をお願いし、皆さんから承諾をいただいて、
すぐに打ち合わせを兼ねた飲み会を行った。
多分、私はその席で初めて皆さんに
エルヴィス・ファンであることを打ち明けたように思う。
学生の頃、サークル内では「私=ブルース」という図式が成り立っており、
私がリーダーだったバンドで演奏した曲は、
そのほとんどがシカゴ・ブルースだった。
くる日もくる日もブルースマンの歌声と演奏に耳を傾けながら、
「3コード12小節で、なぜこんなにカッコ良く決まるの・・・?」
「どうして私は彼らの歌と演奏に惹きつけられるの・・・?」
という想いを胸に抱いてベースを練習した。
 
それから1年後、私はエルヴィスのライヴをテレビで観て心を奪われる。
それは彼の歌い方がブルースマンと同じだったからだ。
ありったけの気持ちを歌に込め、
全身全霊で歌っているエルヴィスの姿は輝いていた。
だから私はエルヴィスのファンになったのである。
しかし当時、なぜエルヴィスが黒人のようなフィーリングで歌えるのか
考えたことはなかった。
 
それはブルースに対しても同じで、私は毎日ブルースを聴いていたのに、
ブルースマンの伝記を読んだり、
アフリカン・アメリカンの歴史を調べてみようとは思わなかった。
つまり、黒人音楽は好きだったが、黒人文化に興味がなかったのである。
「この曲はカッコいいから、次のライヴでやってみたい」
そんな事しか頭になかった。
 
ところがサイトで記事を書くようになって、
ブルースの歴史やアーティストの生い立ちを調べるようになり、
エルヴィスやB.B.キング、マディ・ウォーターズやバディ・ガイなど
数多くのアーティストの伝記や関連図書を読むようになる。
この時、エルヴィスも私と同じブルース好きで
黒人クラブに出向いてはじっと彼らのパーフォーマンスを
見つめていたと知り、大いに喜んだ。
 
すると、ブルースへの想いが急に膨らみ始め
翌年、シカゴ経由でインディアナ州のメリルヴィルに行き、
憧れのB.B.キングと対面するチャンスに恵まれたのだ。
BBと直接話をしたり、ゲイリーにある黒人教会に行って
皆さんから熱烈な歓迎を受けたことで、
私のブルースに対する情熱はより深くなっていった。
 
黒人のリズム感や歌唱力、楽器を操るテクニックが優れていることは、
学生の頃から知っていた。
それは音楽を聴けばわかること。
でも、黒人音楽を刺激的かつ魅力的にしていたものは
彼らのディープなソウルだったと、その時初めて実感した。
これこそが大切なブルースの要素だったのだ。
 
それからは音楽だけでなく、
ブラック・カルチャーにも関心を持つようになり、
SNSを通じてアフリカン・アメリカンの友人を何人か作って
情報交換をするようになる。
同時に、エルヴィスとブルースの関係について
自分なりに調べてそれらをまとめて文章にし、
ホームぺージにいくつか掲載した。
 
エルヴィスはよく「黒人音楽を真似して盗んだ」と言われているが、
人間誰しも、好きな音楽や好きなアーティストを繰り返し聴いたり
目の前で観ていたら、しまいにはそれが自分の一部となって
同じように歌えたり振る舞えたりするものである。
それもエルヴィスは、白人が聴いてはいけないとされた音楽にのめり込み
「絶対に行くな」と言われた黒人居住区に足繁く通っていたのだ。
チャンスを得るために黒人のスタイルを真似したというよりは、
純粋にカッコいいと思ったから真似したと捉える方が妥当だろう。
「黒人のように歌える白人」を探していたサム・フィリップスと出会えたのも、
エルヴィスが本当にブルースを好きだったから訪れた幸運だ。
なのになぜエルヴィスは黒人のスタイルを「盗んだ」と言われるのか?
ずっとそのように思っていた。
 
ところが3年前、
私のエルヴィスに対する想いに水を差すような映画を偶然観てしまった。
それはエミネムの半自伝的映画「8 Mile/8マイル」(2002年)である。
私はその映画を観て、
心が二つに引き裂かれるような・・・そんな気持ちを味わった。
 
エミネムは1972年、ミズーリ州のセントジョセフで生まれた。
本名をマーシャル・ブルース・マザーズ3世という。
ステージネームの「エミネム」は本名を短縮した
「M&M」からきているという説が有力だ。
彼にはスコットランド、イギリス、ドイツ、スイス、ポーランド
そしてルクセンブルグ出身の先祖がいるとされている。
父親はエミネムが1歳半の時に家を出て行き、
一人っ子だったエミネムは、薬物依存症の母親と一緒に
3か月ごとにミズーリ州内のアパートや家を転々とし、
12歳でようやくミシガン州のウォーレンに身を落ちつける。
 
彼はそこでヒップホップに興味を持ち始め、
14歳の時「M&M」という名で初めてラップを披露。
9年生を3回落第したのを機に、17歳で高校を中退する。
アフリカ系アメリカ人の友達とつるみながら
黒人ばかりのラップ・バトルに出演して多くの観客から賛同を得たものの、
1996年にリリースされた自主制作アルバム
「Infinite/インフィニット」は全く売れず、
98年までギルバート・ロッジ(ファミリーレストラン)で仕事を続けた。
 
1997年、ロスで開催されたラップ・オリンピックで準優勝し、
1998年にリリースされた自主制作テープ
「The Slim Shady EP/ザ・スリム・シェイディ EP」が2万枚売れる。
このテープをインタースコープ・レコードの社長の家でたまたま耳にした
ラップ界の大物プロデューサー、ドクター・ドレーがエミネムに関心を持ち、
偶然にもその2〜3日後、ドクター・ドレーはロスのラジオ・ショーで
エミネムのフリースタイル・ラップを聴いてその実力に惚れ込む。
すぐさまエミネムを自身のレーベル「アフターマス・エンターテイメント」
と契約させることを決めた。
1999年、メジャー・デビュー・アルバム
「The Slim Shady LP/ザ・スリム・シェイディ LP」をリリース。
世界で600万枚を売り上げて、ラッパーとしての地位を確立。
こうしてエミネムは貧しい境遇から這い上がり、
エルヴィスと同じようにアメリカン・ドリームを体現したのだ。
 
映画「8 Mile」は、ブレイクする直前のエミネムに
焦点を当てて作られていた。
エミネムがインタビューで
「あの映画は俺の話じゃないぜ」と語っているが、
彼がどんな環境に身を置き、
どんな事に失望して怒りを覚えていたかよく伝わってきた。
この映画は大ヒットし、彼がラップする主題歌
「Lose Yourself/ルーズ・ユアセルフ」はアカデミー賞の歌曲賞を受賞する。
 
そもそもタイトルの「8マイル」とはいったい何なのか?
これはミシガン州のデトロイト北部に伸びている
「8マイル・ロード」を指している。
全長が8マイル(13km)あることからこの名前がついており、
それはデトロイトの都市と郊外、
つまり黒人が多く住む貧民街と
裕福な白人が住む郊外とを隔てる道路のことだ。
 
この映画は黒人クラブ「シェルター」で行われる
45秒間のMCバトルのシーンから始まる。
バトルは自分や相手の身なりと中味をネタにして
いかに即興で客を湧かせるような侮辱の言葉を並べ立て
相手をおとしめられるかで勝敗が決まる。
 
最初にラップしたのはリトル・ティック役の黒人ラッパー、
プルーフ(1973-2006)で、
映画の中ではジミー役(愛称バニー)のエミネムを
散々こき下ろしているが、
実際はエミネムが有名になる前からの親友で、
グループ「D12」で一緒に活動していた。
 
彼のラップをかいつまんで記してみる。
 
「笑えないんだよ シロい手にマイク
お前の存在 それ自体がジョーク
クロのマネして金儲け?
おもちゃのバニーに蹴り込んで
バニーの首もぎ贈るぜ ヒューヘフナー
遊び気分はお断りさ プレイボーイ
ニセモノは消えな 
俺が浴びせるぜ ジャーブ
よそモノは帰んな
こいつはヒップホップ
ホッケーか野球をしな
ここはデトロイト
お前の街は16マイル先だしな」
 
内容は見ての通り、
「黒人のヒップホップになぜ白人が挑むのか」
という逆人種差別をテーマにラップしたもの。
それに対して観客から拍手と賞賛が浴びせられ
エミネムは窮地に追い込まれて、一言もラップできず敗退。
挙句の果てに黒人達から「帰れ、腐れニガー」と野次を飛ばされ、
失意のどん底で会場を去る。
 
この時点で私は、映画の中とはいえ、
黒人も白人相手にここまで本音を言えるようになったのかと驚いた。
 
落ち込むエミネムを勇気づけていたのは仲間の黒人フューチャーだ。
フューチャーは「来週のバトルにまた出ろ!」と言うが
負けたエミネムは「俺にはムリだ シロだぜ」と答える。
それに対して「ラップはイケてれば "色"は関係ない」と励ます。
 
そして、私にとって非常に問題となったシーンが出てくる。
それはバトルの翌日に、
エミネムとその仲間(黒人3人に白人1人)が溜まり場で
敵対するグループ「フリーワールド」と出くわす場面だ。
そこでエミネムが相手のメンバーからとんでもない言葉を投げつけられる。
 
「エルヴィス
白んぼラップは・・・ 8マイルの向こう側でやれ
昨夜は声も出やしねぇ・・・」
 
・・・これにはショックを受けた。
まさかエルヴィスの名前がこんな形で登場するとは思わなかった。
彼らにとってエミネムは、「エルヴィス」を連想させる存在なのだ。
 
その後「エルヴィス」は2回出てきた。
 
エミネムが「フリーワールド」の連中から
仕返しの蹴りを入れられて転倒し、
「立つんだ エルヴィス」と罵られる場面。
もうひとつは、リケティ役の黒人がラップする
エミネムとのMCバトルの中だ。
 
「シロの仲間はヴァニラ・アイス
お前はカントリー・ボーイ
ラップは無理だぜ ウィリー・ネルソン
息の根 止めるぜ 白んぼ野郎
マヌケなウサ公 フューチャーの尻のニンジンを追ってろ
俺がアイクでお前はティナだ
地面に伏せて泣きわめくな
エルヴィスが下で嘆いている
クロの中にシロ1匹
8マイルを越えてケツ出して眠れ」
 
しかしエミネムはこのラッパーに対し
それ以上に侮辱的な言葉を羅列して、
(あまりにも過激なため書けません・・・)
最後は「俺の顔にはスマイル 白いケツ振り 超えるぜ8マイル」
と締めくくって観衆の度肝を抜き、見事勝利する。
そしてついに決勝戦では「フリーワールド」のボスと戦うが
エミネムのラップが凄過ぎて
相手はぐうの音も出ず敗退し、見事優勝するというエンディングだ。
 
この映画を観終えて、ラップ・バトルの酷い内容もさることながら
それ以上にショックを受けたのは、やはり「エルヴィス」のことだった。
多くの黒人間で、エルヴィスが快く思われていないことは薄々知っていた。
それはBluemoonさんのホームページ内に掲載されてある
"Pinkdog's House"の中の「Elvis&Black」を読んだからだ。
 
記事の中でミシシッピー大学の
マイケル・T・バートランド教授の言葉が紹介されていたが、
彼は『RACE, ROCK, AND ELVIS/エルヴィスが社会を動かした』
(前田 絢子訳)の著者である。
この本の中で彼は、サン・レコードの設立者、
サム・フィリップスが言った言葉に対して懐疑的な意見を述べていた。
以下、抜粋する。
 
「無数のレコード制作屋が北部や西海岸から南部にやって来て、
ガレージ裏などにポータブルの録音装置を組み立てては、
リズム&ブルースを録音しているのを目にしたフィリップスは、
実質的に未開拓の宝庫が我が掌中にあると考えたのだった。
『そこで1950年、私はスタジオを設立して、
黒人の偉大なアーティストのレコードを制作することにしたのです』
というのが、フィリップスの言である。
 
独立レコード・レーベルの経営主を、
黒人歌手のレコード制作のパイオニアとして美化するのは簡単だが、
しかしそこは注意をして観る必要がある。
このような独立レーベルを設立した最初の起業家の目的はビジネスだった。
それ以外の二義的な目的があったにしても、
主要な目的は金儲けだった」
 
映画「8 Mile」で黒人がエミネムをエルヴィスに見立てて悪態をつき、
「クロのマネして金儲け」という言葉が頭の中をグルグル回り始めた頃、
私は、はたと二人のキングを掲げている自分のホームページについて考えた。

「もしも黒人が私のサイトを見たら何て思うだろう?」

5年前、私はアフリカ系アメリカ人のJ君に、
自分のホームページを紹介したことがある。
その時彼は『エルヴィスのビッグ・ファンなんだね。
両親にも君のサイトを見せたよ!』と言ってくれたけど
全ての黒人が彼みたいに好意的にとってくれるとは限らない。
 
もしかしたら多くの黒人が、
「オレたちの歌を借用して、
オレたちのスタイルをマネしたからデビューできたのに、
成功したらすっかりルーツを忘れてしまった。
ガッカリだよ、エルヴィス・・・」と嘆いているのかもしれない。
 
それに対して
大半の人が「そんなのはエルヴィスの勝手だ。何が悪いの?」
と反論するにちがいない。
でもそれはアメリカの人種問題に対して無知であることを
露呈するようなものだ。
 
バートランド教授の『RACE, ROCK, AND ELVIS』に
サン・スタジオでレーコディングしたルーファス・トーマス
(1917-2001、ミシシッピ出身のリズム&ブルース・シンガー )の
言葉が載っていた。
「黒人に何か才能があっても、それで儲ける手段をもっていないから、
白人の旦那がそれを取り上げて利用する。
やつらは、それを黒人からふんだくる。
そういう仕組みだった」
 
今年の夏、SNSの黒人友達が私のページのコメント・ボックスに
エルヴィスの写真を送ってくれたので、
私はビックリして以下のようなメールを出してみた。
 
「いつも友情をありがとう。
あなたは私にエルヴィスの写真を送ってくれましたね。
それらは素晴らしかったです。
あなたはエルヴィスを聴きますか?
私はエルヴィス・ファンなんですが、
今となってはそれを公言できません。
なぜなら私にはアフリカン・アメリカンの友達が
何人もいるからです。
私はあなたとエルヴィスについて話ができますか?」
 
その人とは親しくメール交換をしたことはなかったが
何でも率直に教えてくれそうな気がした。
その人が私について知っていた情報は、
ブルースやR&B、ソウルなどのブラック・ミュージックが大好きで
学生時代にブルース・バンドをやっていたということ。
私は彼にエルヴィス・ファンだと言ったことはない。
 
ところがその日を境に、
彼からめったにコメントが送られてこなくなり
3週間経っても返事は来なかった。
私は浅はかな質問をしたことに後悔し、
友人を一人失くしてしまったと落胆していたある日、
彼からたった二行のメールが送られてきたのだ。
 
「Yes. We can talk about the "King" any time......
Ignorance is a scary thing once people learn the truth.....
 
いいよ、君といつでも"キング"について話そう・・・
ひとたび真実を知れば 無知は怖いことだとわかるんだ・・・」
 
それはあまりにも含蓄のある言葉だったので
私は彼の真意を測り切れず、
まだお礼の返事しか出していない。
エルヴィスをリスペクトする気持ちに変わりはないが、
今は複雑な心境だ。
マイケルは・ジャクソンは『ブラック・オア・ホワイト』で
「黒人か白人かなんて大事なことじゃない」と歌っているが、
実際は人種問題によって、黒人も白人も追いつめられる瞬間がたくさんあるのだ。


<2010・10・23>
 









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